[AI書房] 第6章 スタートアップ
デミス・ハサビス、Google人工知能の父
第2部 コードを書き、仮想世界を設計した少年
第6章 スタートアップ
金京鎮
1998年、独立系ゲームスタジオ設立――『リパブリック:ザ・レボリューション(Republic: The Revolution)』。仮想国家のすべてを人工知能でシミュレーションするというデミス・ハサビスの野心は、1990年代後半のゲーム業界のみならず、科学界全体を通じても最も大胆な挑戦の一つでした。1998年、まだ若い年齢でエリクサー・スタジオを設立したハサビスが最初に提示した青写真は、『リパブリック:ザ・レボリューション』という名の政治シミュレーションゲームでした。このゲームは、単にボタンを押して数値を上げるだけの戦略ゲームではありませんでした。
ハサビスはその中に「息づく社会」そのものを詰め込みたいと考えていました。彼はすでに『テーマパーク』や『ブラック&ホワイト』を通じて、仮想世界の住民が自ら判断し行動させる技術の魅力に触れていました。しかし、彼はそれで満足はできなかったのです。
彼はより巨大なもの、すなわち数千人の市民がそれぞれの信念や職業、家族関係を持ち、リアルタイムで相互作用する巨大な「社会実験場」を夢見ていました。彼にとってゲームは単なる娯楽ではなく、知能の本質を探求するための仮想的な「シャーレ(Petri dish)」でした。ハサビスは、仮想の東欧国家「ノヴィストラナ(Novistrana)」を創造しました。
この国の首都であるベレジナ(Berezina)をはじめとする数々の都市は、数千もの建物や広場から成り立ち、その道を歩くすべての市民は、エリクサーが開発した独自の人工知能エンジンによって制御されていました。当時のほとんどのゲームにおいて、背景キャラクター(NPC)はあらかじめ決められた経路を歩いたり、単純な台詞を繰り返したりするだけの操り人形に過ぎませんでした。しかし、『リパブリック』の市民たちは違っていたのです。
彼らは朝起きると仕事に向かい、昼には公園で休息をとり、夜にはパブで政治的な不満をぶちまけていました。ユーザーが宣伝物をまき散らしたり買収を試みたりすると、市民たちはそれぞれの志向や置かれた状況に応じて、さまざまな反応を見せました。
こうした試みは、技術的に極めて困難な課題でした。ハサビスは、たった一人の天才的なAIを作るのではなく、数万もの「単純な知能」が集まることで、いかに複雑な「社会的な創発性」が生み出されるかを具現化したいと考えていました。そのために、彼は「ロータス(Lotus)」という革新的な3Dエンジンを開発しました。
このエンジンは、都市の最も高い場所から見下ろす視点から、市民の目線で新聞の見出しを読めるレベルまで、自由な拡張をサポートしていました。これは2000年代初頭のハードウェアスペックでは、不可能に近い挑戦でした。ハサビスの頭の中で、『リパブリック』は人類史上最も精巧な社会シミュレーターでした。彼はこのプロジェクトを通じて、人間の社会的な行動様式をコードとして定式化できると信じていました。世界中のゲームメディアは、この少年天才の野心に熱狂しました。
すべての市民が脳を持っている」という宣伝文句は、ゲーマーたちの胸を躍らせました。しかし、この壮大な夢は、同時にエリクサー・スタジオを徐々に圧迫する足かせともなりました。現実の国家をシミュレートしようとする野心は、それだけ解決すべき変数が無限であることを意味していたからです。ハサビスは、人工知能が解決すべき究極の課題は、「現実世界の複雑性」をいかに抽象化し、処理するかにあるのだということを、身をもって痛感していました。
膨大な規模による開発の遅延」 夢が大きければ大きいほど、その夢を現実という器に収めるプロセスは苦痛を伴います。デミス・ハサビスとエリクサー・スタジオは、『リパブリック:ザ・レボリューション』を開発する中で、起業家として最も苦い教訓を得ることになります。それは、まさに「スコープ・クリープ(Scope Creep)」でした。
当初2年ほどと予想していた開発期間は5年にまで延び、世界中から期待を一身に集めていたゲームは、2003年になってようやく日の目を見ることとなりました。開発が遅れた最大の原因は、ハサビスが設定したシミュレーションの深さにありました。数千人ものAIエージェントがリアルタイムで相互作用するシステムを実装しようとしたため、ハードウェアのリソースが底をつくことが常態化していました。
CPUは市民のスケジュールを計算するために悲鳴を上げ、メモリは巨大な都市のディテールを収めるにはあまりにも不足していました。ハサエビスは完璧主義者であり、妥協するよりも技術的な限界を突破するために、昼夜を問わずコードを修正し続けました。しかし、パブリッシャーであるエイドス(Eidos)からの圧力は強まり、結局『エルキサー』はゲームの多くの核心的な機能を削らざるを得ない状況に直面しました。
最も惜しまれた点は、シミュレーションの結果がゲームプレイの楽しさに直結しなかったことです。ハサビスは市民一人ひとりの知能を実装することに全力を注ぎましたが、肝心のプレイヤーが彼らと相互作用する方法は、ボードゲームのように、やや単調な選択の連続へと変質してしまいました。市民たちが内面的にどれほど複雑な計算を行っていたとしても、プレイヤーの画面上には単純なアイコンと数値としてしか現れませんでした。丹精込めて作り上げたAIの深みを、読者が直接肌で感じるには、あまりにも高い壁があったのです。
2003年に発売された『リパブリック』に対する市場の反応は、冷ややかなものでした。批評家たちは「技術的な達成は驚くべきものだが、ゲームとしての面白さに欠ける」という評価を下しました。レビュー集計サイトのメタクリティックで獲得した62点というスコアは、ハサビスが以前に携わった『ブラック&ホワイト』や『テーマパーク』の栄光に比べれば、あまりにも寂しい成績でした。
ファンたちは「あまりにも多くのことを約束したが、結局手にしたのは繰り返されるクリックだけだった」と、失望感をあらわにしました。この失敗は、ハサビスに金では買えない経験をもたらしました。彼は初めて、数十人のエンジニアやアーティストを率いるCEOとしてチームを管理し、巨大企業との交渉の席で、いかに駆け引きを行うべきかを学んだのです。
また、いかに優れた技術であっても、ユーザー(プレイヤー)がその価値を即座に理解できなければ、市場で生き残ることはできないというビジネスの冷酷さも悟りました。アイザックソンが描写したスティーブ・ジョブズのように、ハサビスもまた、自身の「現実歪曲フィールド」が技術的な物理法則と衝突したとき、どのような結果を招くのかを身をもって学んだのです。この時期の挫折は、後に彼がディープマインドを運営する際、「研究の革新性」と「製品の実行力」の間で精緻なバランスを取るための土壌となりました。
汎用人工知能(AGI)を作るには、まだ時期尚早だ。「リパブリック」のリリース後、ハサビスは深い思索に沈みました。彼は、単に「面白いゲーム」を作れなかったから失敗したとは考えていませんでした。それよりも、自身が目標としていた「知能の再現」という課題が、当時のコンピュータサイエンスの水準では到底到達できない高い壁であったことを悟ったのです。
彼はエリクサー・スタジオのオフィスで夜を明かしながら、自問しました。「なぜ人工知能は、いまだに本物の人間のように柔軟に考えることができないのか?」彼が直面した最大の壁は、「知能の汎用性」の欠如でした。「リパブリック」の市民たちは、政治シミュレーションという閉じた世界(Closed world)
の中では、それなりの論理に従って動いていました。しかし、彼らは新しい状況に適応したり、自ら学習して発展したりする姿を見せることはできませんでした。プログラマーがあらかじめ組み込んだ「もし〜ならば(If-Then)」というアルゴリズムの集合体は、いかに精巧であっても、真の知能のように感じられることはなかったのです。
ハサビスは、人工知能が次の段階へと飛躍するためには、単に高速なハードウェアやより複雑なルールが必要なのではないという事実に直感していました。「私たちは知能を解明したいと願っていますが、そもそも知能とは何なのかさえ分かっていません」。当時のゲーム業界で使用されていた人工知能技術は、一種の「手品」に近いものでした。
それは、ユーザーが知能が高いと感じるように巧妙に演出されたスクリプトに過ぎませんでした。ハサレルギーは、このような偽の知能ではなく、どのような環境に置かれても自ら学習し、問題を解決する「汎用人工知能(AGI)」を求めていました。しかし、2000年代初頭の技術環境において、AGIは単なる空想やSF小説の中の物語に過ぎませんでした。ハサビスは悟ったのです。
コンピュータサイエンスだけでは、この問題を解決できないということを。人間の脳がいかにして知能を生み出すのか、記憶や想像力がどのような神経学的メカニズムを経て形成されるのかを理解せぬまま、知能をコードに移植しようとする試みは、設計図なしに建物を建てようとするようなものでした。彼は、自らが設立したエリクサー・スタジオが、商業的なゲーム開発に埋没していくことを警戒していました。彼は、より大きな問題を解決したいと考えていたのです。
「現在の道具では不十分だ。知能を根本的に理解するためには、再び基礎科学へと立ち返らなければならない」。この決断は、ハサビスの人生における最も劇的な転換点となります。2005年、彼はスタジオを売却し、安定した収益が保証されていたゲーム業界を去る決意をしました。
周囲からは「100万ポンド以上の年収を得られる地位を、なぜ放棄するのか」と引き止められましたが、彼の視線はすでにチェス盤やモニターの向こう側にある世界へと向いていました。彼は認知神経科学(Cognitive Neuroscience)の博士課程に進むため、大学へ戻ることを決意します。エリクサー・スタジオでの7年間は、彼に「成功した起業家」という肩書きの代わりに、「知能の征服者」になるための切実な動機を与えたのです。
「汎用人工知能を作るには、まだ時期尚早だ。しかし、準備を始めるには最も適切な時である」というこの確信が、後にディープマインドの種となりました。『イーブル・ジーニアス(Evil Genius)』、そしてBAFTAインタラクティブ音楽賞を受賞したジェームス・ハニガン(James Hannigan)と共に手がけたエリクサー・スタジオの第2作目となる『イーブル・ジーニアス』は、ハサビ
スのもう一つの天才的な側面を示す作品でした。このゲームは、プレイヤーが正義を守るヒーローではなく、秘密基地から世界征服を夢見る悪党になるという新鮮な発想から始まりました。ハサビスはこの独創的なテーマを完成させるために、ゲームの雰囲気を決定づける「音」に注目しました。
当時、イギリスの著名なゲーム音楽作曲家であったジェームス・ハニガン(James Hannigan)をエリクサーに招きました。ハサビスとハニガンのコラボレーションは、単にBGMを注文して制作するというレベルを超えていました。二人は、音楽がゲームの状況に応じてリアルタイムに変化すべきであるという「インタラクティブ・ミュージック」のビジョンを共有したのです。悪党の秘密基地にスパイが侵入した時、プレイヤーが悪の計画を成功させた時、あるいは部下たちがのんびりと休息している時、その音楽が自然に繋がらなければなりませんでした。
ハサビスはハニガンに対し、ゲーム内の人工知能システムと音楽エンジンが密接に連動することを要求しました。ハニガンは、1960年代のスパイ映画の巨匠ジョン・バリーの音楽スタイルを現代的に再解釈し、『イーブル・ジーニアス』ならではの独特でユーモラスな悪党テーマを作り上げました。壮大なオーケストラサウンドとレトロな電子音が混ざり合ったこの音楽は、ゲームの風刺的な雰囲気を完璧に引き立てました。
ハサビスはハニガンの創造性を全面的に支持し、技術的な支援も惜しみませんでした。音楽が単なる装飾ではなく、ゲームの「認知的体験」を強化する核心的な要素であると信じていたからです。このような革新的な試みは、業界からも高く評価されました。
『イーブル・ジーニアス』のサウンドトラックは、英国アカデミー賞(BAFTA)のインタラクティブ部門において、音楽賞の候補にノミネートされるという快挙を成し遂げました。これは、独立系スタジオであるエリクサーが、巨額の資本が投じられたブロックバスター級のゲームと肩を並べたという点で、大きな意味を持っていました。ハサビスはハニガンとの共同作業を通じて、異なる分野の専門家たちが一つのビジョンのもとに集まったときに生まれる「創造的なシナジー」の力を、改めて確信したのです。
アイザックソンがスティーブ・ジョブズとジョニー・アイブの協力関係を描いたように、ハサビスとハニガンの出会いは、技術と芸術の見事な融合でした。ハサビスが論理的かつ数学的な構造を提供し、その上にハニガンが人間の感情を揺さぶる旋律を吹き込んだのです。後にディープマインドにおいて、ハサビスがAI研究者だけでなく、哲学者、芸術家、神経科学者までも集めて「多角的なチーム」を構成した背景には、エリクサー時代にジェームズ・ハニガンと共に成し遂げた、この輝かしいコラボレーションの記憶が刻まれています。
シミュレーションゲームを通じてAIエージェントと創発現象を実験する『イーブル・ジーニアス』は、『リパブリック』で失敗に終わった人工知能シミュレーションの夢を、より巧妙かつ効果的に具現化した作品でした。ハサビスは『リパブリック』の失敗から、あまりに広範囲すぎるシミュレーションは制御が困難であることを学びました。そのため、『イーブル・ジーニアス』では、秘密基地という「制御された環境」へと範囲を絞り込んだのです。
プレイヤーの命令に従う数百人の部下(ミニオン)と、彼らを妨害する政府のエージェントは、それぞれが独立した知能を持つ「AIエージェント」として設計されました。ハサビスがこのゲームで特に注目したのは「創発性(Emergence)」でした。創発性とは、個々の要素は単純なルールに従っているだけであるにもかかわらず、それらが集まったときにシステム全体として予測不可能な複雑な行動が現れる現象を指します。
「イーブル・ジーニアス」の基地内では、部下たちは空腹、疲労、忠誠心という単純な数値に基づいて動きます。しかし、数百人もの部下たちが基地内の家具の配置やプレイヤーの突然の命令と相互作用し始めると、開発者であるハサビス自身ですら予想できなかった独特な状況が発生しました。例えば、基地内の食堂の位置が宿舎から遠すぎると、部下たちが移動中に疲れ果てて倒れてしまったり、特定のエリアに人が密集してボトルネックが生じたりすることもありました。
ハサビスはこのような現象を観察することに、大きな喜びを感じました。ゲーム開発者として「プレイヤーにどのような体験を提供するか」を追求すると同時に、科学者として「いかにしてこの仮想世界に生命を吹き込むか」を追求したのです。彼にとって、ゲーム内のエージェントたちは、知能の基本単位をテストするための被験者でした。
人工知能が複雑な環境において目標を達成するために「計画(Planning)」を立てるプロセスを、実験しました。敵のエージェントが侵入した際、部下たちが自ら警報を鳴らし、敵を罠へと誘い込み、負傷した仲間を治療するプロセスは、精巧に組まれたスクリプトではなく、エージェントたちの自律的な判断によって行われるよう設計されました。これは、後にディープマインドが強化学習(Reinforcement Learning)を通じて、AIが自ら最適な戦略を見つけ出すようにした手法と軌を一にするものです。
「イーブル・ジーニアス」は、批評家たちから「深遠なシミュレーションとユーモアが融合した傑作」という評価を受けました。ハサビスはこのゲームを通じて、自身が夢見ていた「システムベースのゲームデザイン」が、市場においても通用することを証明したのです。
完全なAGIに到達するには技術的な限界が依然として残っていましたが、彼は仮想世界というサンドボックスの中で、知能の断片を一つずつ組み立てていく喜びを存分に味わいました。この時期の実験は、ハサビスに「知能とは静的なルールではなく、環境との絶え間ない相互作用の中で開花するダイナミックなプロセスである」という確固たる哲学を植え付けました。100万ポンドのスカウトの辞退と2005年のスタジオ売却。ゲーム業界で学んだこと:チーム管理、スケジュール、失敗のコスト、リーダーシップの初歩。2005年、デミス・ハサビスはエルリクサー・スタジオを整理し、自身の人生において最も華やかであったゲーム開発者としての第一章を締めくくります。
スタジオを売却し清算するプロセスは決して容易なものではありませんでしたが、彼はこの過程で得た無形の資産が、いかなる成功よりも価値があることを知っていました。エルリクサー・スタジオは、ハサビスにとって「リーダーシップの過酷な訓練場」でした。ハサビスは20代前半という若さで、数十人の従業員に給与を支払う経営者(CEO)となったのです。彼は天才的なプログラマーでしたが、人の心を動かし、組織の効率を最大化するという管理の領域は、全く別の問題でした。
彼は『リパブリック』の開発遅延を経験することで、プロジェクトのスケジュール管理の重要性と「選択と集中」の価値を学びました。いかに革新的なアイデアであっても、決められた時間と予算内で実現できなければ失敗に終わるという、経営の基本原則を身をもって体験したのです。また、失敗のコストについても深く悟りました。
『リパブリック』の芳しくない成果と、それに伴う財政的な圧力は、ハサビスにとって大きなストレスでした。しかし、彼は挫折する代わりに、何が間違っていたのかをチェスの対局を振り返るかのように徹底的に分析しました。彼は、自分が技術的な完璧主義に陥り、市場のスピードとユーザーの要求を見落としていたことを認めました。
このような自己客観化は、後に彼がGoogleのような巨大企業の中でDeepMindという巨大な組織を率いる際、研究の自律性を守りつつも商業的な成果を出す卓越した戦略家へと成長する礎となりました。また、彼は人材確保の重要性を痛感していました。ジェームス・ハニガンをはじめとする各分野の最高峰の専門家たちと協力する中で、リーダーの役割とは単に指示を出すことではなく、「優秀な人々が心躍らせて働ける環境を作ること」であることを学んだのです。
Elixir出身の多くの開発者が後に英国ゲーム産業の主役となり、一部がDeepMindの初期メンバーとして加わったことは、ハサビスが初期から「人」に投資していたことを物語っています。
アイザックソンが描写した若き日のイーロン・マスクやスティーブ・ジョブズが最初の起業で経験した試行錯誤のように、ハサビスにとってElixir Studiosは、未完の原石であった彼を磨き上げる砥石のような存在でした。彼はここで、勝利の喜びよりも敗北の教訓を多く得ましたが、その教訓こそが「知能」という巨大な山を征服するために不可欠な装備でした。彼はゲーム業界を去る際、もはや単なる一人のゲームデザイナーではありませんでした。彼は「世界を変えるために知識を組織する方法」を知る、若きリーダーへと生まれ変わっていたのです。
「ゲームは単なる娯楽ではなく、AIを訓練するための完璧なサンドボックスである」という確信。Elixir Studiosを去る際に下した結論は、「ゲームは人工知能を完成させるための最高の道具である」という確信でした。人々は、彼がゲーム業界を離れ、科学の世界へと転身すると考えましたが、ハサビスの頭の中で二つの世界が切り離されたことは一度もありませんでした。彼はただ、より強力な道具を手に入れるために、一時的に戦場を移したに過ぎなかったのです。
彼はElixirでの経験を通じて、現実世界を人工知能でシミュレーションすることがいかに困難であるかを悟りました。しかし同時に、ゲームという仮想世界こそが、現実の複雑さを安全かつ迅速に再現できる唯一の通路であることも確信したのです。「もし人工知能が複雑な戦略ゲームに勝利できるのであれば、その人工知能は現実の複雑な科学的難題をも解決できるのではないか?」という仮説が、彼の頭の中に根を下ろしました。
この確信は、後にDeepMindの根幹となる「サンドボックス哲学」へとつながります。ハサビスは、最初から人工知能を新薬開発や気候変動の予測に投入したわけではありません。代わりに、彼はブロック崩しやスペースインベーダーのような古典的なアタリのゲームや、チェス、囲碁といったボードゲームをAIの訓練場として活用しました。ゲームはルールが明確で、成功と失敗の報酬がはっきりしており、何よりも数万回ものシミュレーションを瞬時に実行できる完璧な実験室だったからです。
ハサビスがBlue Frog時代に受けた「100万ポンドのスカウトのオファー」を断り、大学へと向かったエピソードは、彼がいかに長期的な視点を持つ人物であるかを示しています。目の前の金銭や名声よりも、「知能を解明する」という究極のミッションに忠実でした。彼はElixirを売却した資金を、自身の次のステップである神経科学研究のための足がかりとしました。ゲーム産業において知能の外見(シミュレーション)を作り上げたのであれば、次は脳科学を通じて知能の本質(アルゴリズム)を学びに行ったのです。
彼はゲームという鏡を通じて人工知能の限界を見つめ、その限界を乗り越えるための地図を描きました。2005年にElixirの門を閉じ、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の図書館へと向かう彼の足取りには、近いうちに再び仮想世界へと戻り、真の知能を具現化させてみせるという、静かながらも強固な執念が宿っていました。「ゲームは終わったが、クエストはまだ始まったばかりだ。」
それは、彼が世界中のゲーマーと科学界に向けて投げかけた、目に見えないメッセージでした。Elixir Studiosのロゴ




