[AI書房] 第19章 数学とアルゴリズムの革新
デミス・ハサビス、Google人工知能の父
第7部 科学のためのAI
第19章 数学とアルゴリズムの革新
金京鎮
問題解決 2024年7月、イギリスの古都バース(Bath)では、世界中から集まった極めて優秀な数学の天才たちが、第65回国際数学オリンピック(IMO)に挑んでいました。同じ時刻、デミス・ハサビス率いるGoogle DeepMindの研究室でも、目に見えない参加者が試験用紙を受け取っていました。それは、「AlphaProof」と「AlphaGeometry 2」という名のAIモデルでした。
ハサビスは常に「数学は自然を記述するための言語である」と強調してきました。囲碁やチェスのようにルールは明確ですが、その複雑さは無限に近く、正解はただ一つしかない真理の領域です。ChatGPTのような大規模言語モデル(LLM)は、詩を書き、コードを生成することには長けていましたが、数学の前ではとりわけ無力であった理由がここにあります。
言語モデルは「もっともらしい」次の単語を確率的に予測しますが、数学は99.9%の確率ではなく、100%の論理的な証明を必要とするからです。ハサビスはこの隔たりを埋めることこそが、AGI(汎用人工知能)へと至る決定的な関門であると確信していました。AlphaProofの仕組みはこうです。数学の問題を形式言語(Leanという数学証明ツール)に翻訳した後、AIが数百万もの証明経路を探索し、論理的に隙のない解法を見つけ出します。チェスにおいてAlphaGoが次の一手を読み解くように、AlphaProofは証明の手を読み解くのです。
この日、DeepMindが公開した結果は、非常に印象的なものでした。AIシステムは全6問のうち4問を完璧に解き明かし、28点を獲得しました。これは銀メダル獲得ラインに相当するスコアでした。
特に、ある幾何学の問題は、わずか19秒で証明されました。数年前までは小学校レベルの記述式問題さえまともに解けなかったAIが、今や人類の最上位0.1%の天才たちと肩を並べるまでになったのです。この成果の鍵は、ハサビスが長年追求してきた「ニューロ・シンボリック(Neuro-symbolic)」アプローチにありました。
DeepMindのチームは、直感的なアイデアを生み出す大規模言語モデル(Gemini)の能力と、厳格な論理規則を検証する記号論的(Symbolic)システムを結合させました。これは、優れた直感を持つ数学者が仮説を立て、細かな検討者がその仮説を一行ずつ証明していくプロセスに似ています。AlphaProofは、問題を「Lean」という形式証明言語に翻訳することで、自律的な学習を実現しました。
これは、ハサビスがチェスの神童だった頃、数万回もの対局を通じて直感を養い、棋譜の検討を通じて論理を鍛え上げた過程のデジタル版と言えるでしょう。202な銀メダルは、単なる成績ではありませんでした。それは、AIが人間のデータを模倣する「模倣」の段階を超え、自律的な論理推論を通じて「真理」に到達できることを証明した出来事でした。
ハサビスはこの報告を受け、AIが科学的発見のツールとして完成へと向かっていることを直感しました。「AlphaEvolve:AIがアルゴリズムを設計する時代」。数学の問題を解くことが、与えられた正解へと辿り着くプロセスであるならば、アルゴリズムの設計は、正解へと続く「新たな道」を切り拓く創造の領域です。2025年5月、DeepMindは「AlphaEvolve」を公開し、再び世界に衝撃を与えました。
ハサビスは、コンピュータサイエンスにおける根本的な非効率性に注目しました。人類が過去50年間にわたって使用してきたソート(Sorting)やハッシュ(Hashing)などの基本アルゴリズムの多くは、1960〜70年代に天才的な人間プログラマーたちが考案したものです。それ以降、私たちはより高速なコンピュータを作ることに注力してきましたが、これら基本アルゴリズム自体を改善するという発想には、ほとんど至っていませんでした。
ハサビスは問いかけました。「もしAIが、人間の偏見に囚われず、ゼロからコードを書き直したとしたらどうなるだろうか?」 その前兆となったのが、2023年に公開された「AlphaDev」でした。
AlphaDevは強化学習を通じて、C++ライブラリのソートアルゴリズムを数十年の時を経て改善するという成果を上げました。しかし、AlphaEvolveはそこからさらに一歩踏み出しました。Geminiモデルのコード生成能力に進化計算(Evolutionary Computation)を組み合わせたこのシステムは、自らコードを書き(変異)、性能を評価し(選択)、より優れたコードを書き直す(進化)というプロセスを無限に繰り返しました。
AlphaEvolveの威力は、Googleの心臓部であるデータセンターにおいて証明されました。世界中の数百万台ものサーバーが稼働するGoogleのデータセンターにおけるジョブスケジューリングは、極めて複雑な課題です。AlphaEvolveは、従来の人間のエンジニアが設計した手法よりもはるかに効率的なスケジューリングアルゴリズムを見つけ出し、これによってGoogle全体のコンピューティングリソースの0.7%を回収することに
成功しました。「0.7%」という数字は小さく見えるかもしれませんが、Googleの規模を考えれば、数千億円ものコストと膨大な量の二酸化炭素排出量を削減した巨大な成果です。さらに興味深いのは、AlphaEvolveが生み出したアルゴリズムの形態でした。
人間のプログラマーであれば決して書かないような、直感的には理解しがたい命令の配列がしばしば発見されました。まるでAlphaGoの「37手」のように、AIは人間の思考様式に囚われない、コンピュータハードウェアに最適化された彼ら独自の「方言」でコードを書き始めたのです。ハサビスにとって、AlphaEvolveは「知能を解き放ち、あらゆる問題を解決する」というミッションの強力な証左でした。
AIは単に人間を助ける秘書ではなく、コンピュータサイエンスそのものを進化させる研究パートナーとなったのです。彼はこれを「私たちはデジタル生物学だけでなく、デジタルコンピュータサイエンスの時代を切り拓いている」と評しました。材料科学の革命:220万種以上の新素材の結晶構造を発見。2023年末、科学誌『Nature』に掲載されたある論文は、世界中の材料科学界を震撼させました。
DeepMindの「GNoME」プロジェクトが、220万もの新しい結晶構造を発見したというニュースがありました。この意味を理解するためには、人類の歴史を振り返る必要があります。私たちは、使用する材料によって時代を区分してきました。
石器時代、青銅器時代、鉄器時代、そして現在のシリコン時代。新しい材料の発見は、常に文明のクォンタムジャンプ(飛躍的な進歩)をもたらしてきました。しかし、その発見のプロセスは、極めて遅く、苦痛を伴う試行錯誤の連続でした。エジソンが電球のフィラメントを見つけるために数千もの材料を燃やしたように、現代の科学者たちも実験室で元素を混ぜ、焼き、偶然の発見を待たなければなりませんでした。人類が過去数千年間の実験を通じて明らかにしてきた、安定した無機化合物の結晶構造は、わずか約4万8千個に過ぎませんでした。
ハサビスはこの遅い時計の針を加速させたいと考えていました。彼は、タンパク質の構造を予測した「AlphaFold」の成功の方程式を、材料科学に当てはめたのです。「原子の結合ルールをグラフネットワーク(Graph Networks)で学習させれば、安定した構造を事前に予測できるのではないだろうか?」
GNoMEは、ディープラーニングを用いて周期表の組み合わせを探索しました。そして、人類が2万年かけて見つけ出した数よりも45倍も多い、220万もの新しい物質の候補を一挙に生み出したのです。そのうち38万個は、現在の技術でもすぐに合成が可能な「安定した」構造であることが判明しました。
これは、材料科学における800年分もの研究量に相当する知識でした。ハサビスはこの成果を発表する際、いつもの落ち着いた声で語りました。
「私たちは今、知識の探索範囲を根本的に拡張しています」という彼の言葉通り、GNoMEは科学者たちに宝の地図を授けました。もはや科学者たちは、がむしゃらに試行錯誤を繰り返す代わりに、GNoMEが描いた地図の上で目的地を選び、探検へと出発すればよいのです。
超伝導体とクリーンエネルギー素材の探索。GNoMEが発見した宝の地図には、人類が切望していた答えが隠されていました。ハサビスが最も注目したのは、気候危機を解決するためのクリーンエネルギー技術です。電気自動車の核心であるバッテリー効率を飛躍的に高めるリチウムイオン伝導体、太陽光パネルの効率を最大限に引き出す新しい鉱物、そして「夢の物質」と呼ばれる常温超伝導体の候補物質などが、データベースに含まれていました。
実際にDeepMindは、ローレンス・バークレー国立研究所(LBNL)と協力し、「A-Lab」という自律走行型実験室を稼働させました。AIが設計したレシピをロボットアームが実行して新素材を合成するというこの未来的な光景は、GNoMEの予測が単なるコンピュータ・シミュレーションではないことを証明しました。A-Labは、わずか17日間で41種類もの新しい新素材を合成することに成功したのです。
人間の研究者であれば、数年を要したであろう作業でした。ハサビスは、改めて「根本的な豊かさ(Radical Abundance)」の重要性を強調しました。エネルギーをより安価でクリーンなものにし、コンピューティング・チップの性能を限界以上に引き上げる物質を発見することで、資源の希少性に起因する人類の紛争を解決できるという信念です。
「私たちが発見したこれら38万個の物質のうちの一つが、次世代バッテリーの標準となるかもしれませんし、核融合発電の内壁を覆う素材となるかもしれません」。2025年現在、世界中の材料科学者たちは、GNoMEが公開したデータを基に実験を進めています。ハサビスは、AlphaFoldが生物学者たちの道具となったように、GNoMEが材料科学者たちの不可欠な道具となることを願っていました。
彼は、自らが作り上げたAIがノーベル賞を受賞することよりも、そのAIを活用した科学者が世界を変えるような発見を成し遂げることに、より大きな栄誉を感じていました。チェス盤の上で手を動かしていた少年は、今や原子の配列を読み解き、人類の物理的な限界を押し広げようとしています。
AIと数学の融合を象徴するイメージ




